無料ブログはココログ

2012年4月23日 (月)

仕事の後の黒ビール

 長野のイベントにもっていく寸劇の稽古をしているが、稽古休みで久しぶりにぽっと空いた一日となった。ここのところ、日を空けず稽古が終わると打ち合わせといって、飲んでいた。今回役どころ8歳!(嗚呼、無情だ……)は、少しでも身軽に見えるようまた節制のため、今日こそお酒を控えようと、朝誓うのだけど、稽古後はやはりほっと息をつきたいがため、飲みにいこうということになる。本郷で稽古しているのだが、安くて美味しい中華料理店が多いので、足がむかっている。ここのところ3日もあけず、〆はチャーハンであった。打ち合わせの人はかわるので、皆美味しがってくれる。美味しいチャーハンだがさすがに胃は別の食べ物を要求している。……しかし、ここでたえねば……8歳は幼児体型だが、ビール腹ではないぞう。(というのは冗談だが)やはり身体はきちんと整えなければいけない。要求どおり動くには……。 

 今日は溜まった洗濯をし続け、芝居で使用するガイガーカウンターをネットで予約した。ガイガーカウンターは普段でも高低くらいは計るものがほしかったので、今回のギャラのようなものだと思い購入した。(ギャラはあるのか? 持ち出しなのだ)夕方から知人と、黒ビールで乾杯。帰り道、茨木のり子の詩を口ずさむ久しぶりのほっと空いた一日だった。

 

2012年4月13日 (金)

どさくさまぎれ……再稼動したいのかい

 この国はおかしい。北朝鮮のロケット(またはミサイル実験の)発射失敗や木嶋被告の事件の大報道があり、その隙間に福島原発4号機のまた冷却が不能になり、3号機の使用済み燃料プールには514本の燃料を入れたラックがあり、この上に重さ35トンの燃料交換機が落ちていたことが、さらっと流されている。そしてどさくさ紛れに今夜18時より、野田首相と枝野経済産業相、細野原発担当大臣らが、福井の大飯原発を再稼動するとした。いったん、事故が起これば止められもしない安全も危機管理もできないものを、今まさに止められないものがあるのに、再稼動するということがあり得るのか。電力不足になるからという理由より、まずプロトニウム、セシウムなどを垂れ流しているものを止めてからではないか。野田首相は終息したなど、宣言されたが、このざま……ちゃんと訂正してほしい一国の首相なのだから。もう一度爆発すれば、おしまいになる……今、その恐怖の上で、暮らしているのだ。

 核の平和利用などなかった。明日のこと……一瞬先も見えない世界に奇跡のように生きている。再稼動させてはいけない。主権は原発ムラの方たちだけにあるのではないのだから、黙ってやりすごしてはおしまいだ。原発があっては、復興も未来もない。

 今日はうっとりするような斎場御嶽 (せいーふぁーうたき)の写真を見せてもらったから、そのことを書きたかった。心がふうっと息つける。御嶽を感じながら生きていけたら、私も、もちっとはましになると思えた。御嶽の向こうにいるひとのことを想い、いろいろ想い、ちょっと泣いた。こんなことになっている世のなかだけど、もちっとこちらにいさせてください。

2012年4月11日 (水)

平安時代の歩き方は?──「蘆刈の唄」朗読稽古

 朗読の稽古で吉祥寺へ。今日から杉本苑子の「蘆刈りの唄」(「今昔物語ふぁんたじあ」より)をやる。大和物語、今昔物語集第30第5話「見貧しき男の去りたる妻、摂津の守の妻となる話」が元になっているものがたりで、孤独で不器用な青年宮中楽人が、見初めた下女を借金をしてまで買い上げ妻にするものの、嫌疑をかけられ楽所を追放される。生活は困窮し、妻は大納言邸へ奉公しそこで大納言の次男に見初められてしまう。……ものがたりの結末は今昔物語とも大和物語とも同じような場面での夫婦別れの話となるのだが、その解釈が異なっている。この孤独な青年は妻の幸を願い身をひいていくように書かれている。男と女の情が切なく描かれているように思う。これは、やはり大和物語が元で出来ただろう謡曲の「蘆刈」のような夫婦愛(これも能では斬新だと想う)ハッピーエンドにはならないけれど、心に沁みるものがたりになっている。最後に男が蘆刈の唄を歌っているのだが、作家が、この男を楽人(音楽家)にした意味……楽器も舞も、くろうとの水準は達しているけれど、特になにか、抜きん出た技があるものではなかったとはじまるのだが、最後の男の歌声……女に聞こえるその声は、この世のなかで一番美しい唄だったのだろう……一読では結構、単純なものがたりかと思ったが、味わい深い。この世の中で一番美しく哀しい音色とはどんなものだろうか……好きになると、朗読するのがすごく楽しくなる。

 さて、「この男、顔だちはわるくない。しまったなかなか凛とした風貌なのだが、局歩きをするわけではなく、たまになまねいた歌など渡されても、どぎまぎして、返歌もできない不器用さだから……」とあるのだが、この「局歩き」というのはどういう歩き方かと思い、ネットで調べても局歩きでは、お局さん歩きとか地球の歩き方みたいなものしか出ない、そう、局とは宮や将軍に仕えた女性の敬称のはずだ。と言うことは、なまめかしく歩くことかとか想像してみた。平安時代の貴人かっこいい歩き方って……想像もつかない、女性的ってことかと、想像して聞いていたら、局様みたいな歩き方(くねくねした感じか)好男子が浮かんでちょっと笑いそうになった。稽古終了後、本気で「局歩きってどんなでしょうね?」と聞いたら、皆、にやにやしたので、はっと気づいた。局スタイルの歩き方ではなく、局(女御)、局(女御)と渡り歩くことだったのですね。ああ~ものがたりはちゃんと読まなきゃ……梅ちゃん(先生)を笑えないじゃないか。

2012年4月 7日 (土)

花見の穴場 花に舞う

 夕方より花見に行く。王子の飛鳥山へ出かけるが、人が多いのでお隣りの音無川のところの桜のもと宴とすることにした。飛鳥山があるのでここの桜の木にはあまり人が場所取りもしていない穴場だ。今は水無の川だが、この川を挟んでの桜は趣きがある。8分先くらいか。土日に満開となりそうだが、今日の桜の枝ぶりも花弁も若々しくてほど良い感じだ。用意してもらったカップ酒で暖を取りながら、ひとごこちをつく。花のもとは周りにおかまいなく静かだ。心は浮き立ってきた。

 三月縊り残され花に舞う

 私は桜を見ると、大杉栄を句を思う。おそらく西行の「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」を感じて大逆事件を思い創ったのだろう。彼らしい艶やかなそして自分の命に果てまで見据えた句。不思議なことにまるで辞世の句のような趣があるのだ。まるで自分の死まで予知したような句。この激しさ、覚悟が大杉の本領だと思う。桜の花に同士をそうして自らを思いをはせたのだと……。桜の木の下、大杉栄は艶やかに舞えるのだ。死してしまおうとも。

 桜は梶井基次郎が、坂口安吾が描くように美しくてそら恐ろしくて、そこにいると幻想や真実が見えてくるような面持ちがする。風で振り積む花びらは無心に散る。散ることに理由づけなどないような景色の不思議さ。そこには死体を吸い取るくらい、鬼に出会ってしまうくらいの生命力があるように思う。だから、桜の下にいくとき、その人の生が問われるように思われる。弱ければブラックホールに飲み込まれてしまうような。

 桜の下にいると懐かしい、現世では逢えないひとがひょっこりと現れるような錯覚がする。それは泣きそうになるくらい怖くて切ない。だから、桜の下でお酒を飲んで、生きている人同士でしのぐのかもしれない。狂おしくならないように。生きていることを感じながら……。

 

 

2012年4月 4日 (水)

ほこりの月

 昨日の大風雨で空が清掃されたようだ。今夜、ほこりした月が出ている。朗読の稽古の帰り道である。ぐちゃぐちゃした気持ちが続いていた。夕方家を出た時は、なんだか爆破しそうな感じだったが、人の朗読を聞いているうちに楽になってきた。朗読でやっている作品というより、生声を聞いているとなんだか救われてくる。それに今日は、朗読をみていただいている先輩の女優さんの朗読の独演会をやる発起人に誘われたこともある。いい朗読を聞きたい……楽しみだ。企画者は、彼女(みていただいている女優さん)の高校時代からの同級生だから、半世紀くらいの付き合いなのだと思う。彼女は現役バリバリのモダンバレエのダンサー(勿論自分の教室も持っている!)だ。その彼女も実は今、朗読を習いにきている、独自で読み聞かせもしているらしい。朗読の教室には彼女や、朗読ボランティアをしている方や元学校の先生、元女優、朗読者(職業として)を目指している人とか、ちょっと一筋縄でいかない人が集まっている。朗読は奥が深い……私はまだまだ修行が足りない。来週やる課題をはやく読みたくなってスタバに寄った。ちょっと負けてはいられない。

 

原発 非居住区域

 とうとうというか今更というか非居区域を設ける話を大臣がした。非居区域という言葉が公にされた、今更。本当はどこまでが非居住区域にするつもりかとっくにわかっていることではないだろうか。ここのどこまでには……人の命にことを思ってという基準ではない。どれだけ、人を見殺しにしようとしているのだろうか、経済のために。今だって、福島第一原発は止まっていないのだ。ぎりぎりの綱渡りなのに。しかも素人の綱渡りだ……と思う。福島とくくっているが、東京とて同じだということを……。若い人には離れる勇気を持ってほしい。

4月3日 

 すごい大雨風だ。思わず、窓を明けベランダに出てみる。リア王になったみたいだ(私は道化だなあ)吹けよ風!……だ。みしみしと窓ガラスが揺れる。安普請のアパートなのでちょっと怖い。

 今、無職の私はこんなときだけ恵まれ、しかし、仕事をしていたらちょっと腹立つかなあと思った。3・11に歩いて帰ったことを思うと(しかも、定時まで働かされた……というか、働くのが当たり前だと思っていた。余震のなか)、あれ以来、勤勉も考えものだと思うようになった。

 さて、今日は母の誕生日だった。いつまでもかなわないなあと、思いながら電話した。

 

2012年4月 1日 (日)

ウソをついてもいい日

今日はエイプリルフールだ。うそが許される日。ずっとうそをつきぱなしのこの国。うそがこんなに嫌なものにされてしまったように思う。非常に腹立たしい。

 人にたのしんでもらいたいためのうそをつきたいと、している仕事だってあるのだ。そこのイノチをかけている人だっているのだ。それは楽しいうそ。人を貶めないうそ。男が女になったり、女が男になったり、貧乏が豊かだったり、金持ちがつまんなかったり、そんなことも飛び越えて、ひと時でも嬉しくなったり、驚いたりするうそ。うそがまことになるように思えるうそだったら。うそからまことが見えたり。物語を作る人たちのうそ。

 嫌なうそに負けない楽しいうそを。そんなうそがまことになるように

2012年3月30日 (金)

浮き世からちょっと離れて

埼玉県越生に梅林を見にいく。

2012年3月27日 (火)

まんがのよろずや 竹内浩三

 コンビニ前で小犬に吠えられ眼つけられたが、頑張って凝視してたら、ふんという顔つきで先にむこうが眼をそらしたのだ。よし、今日はなめられなかったぞう……。ちょっと気が高揚したので予約していたコンタクトレンズを取りに池袋に行った帰り、ジュンク堂に寄った。捜している本は見つからず、ついつい詩集の棚へいくと、「竹内浩三楽書(らくが)き詩集 まんがのよろずや」に目が留まる。表紙にドアがありマンガのきらいなヤツは入るべからず……とあるからには、これは入らないといけないではないか。 
 竹内浩三15歳……手作りの回覧雑誌を作った時々に描かれたマンガに、よしだみどりさんが色をつけて彼の詩の挿絵としている。書簡を含むどきっとするほど鋭くしかし、おおらかでひょうひょうとした詩。映画監督を目指したこの学生は学徒出陣で入営、1945年にフィリピンバギオ島で戦死した。「戦争は悪の豪華版である」と竹内浩三は書いている。

 「日本が見えない」も「骨のうたう」も「ぼくもいくさに往くのだけれど」と、どきっとする彼の魂のような詩がいっぱいあるけれど、今、彼が十代で生きて書かれているのではと錯覚するような詩がある(上記の詩もみなそんな錯覚に襲われるが、彼のは自由に生きることを奪われていた時代でそれでも書いているのだ)。

よく生きてきたと思う 竹内浩三

 

よく生きてきたと思う
よく生かしてくれたと思う
ボクのような人間を
よく生かしてくれたと思う

きびしい世の中で
あまえさしてくれない世の中で
よわむしのボクが
とにかく生きてきた

とほうもなくさびしくなり
とほうもなくかなしくなり
自分がいやになり
なにかにあまえたい

ボクという人間は
大きなケッカンをもっている
かくすことのできない
人間としてのケッカン

その大きな弱点をつかまえて
ボクをいじめるな
ボクだって その弱点は
よく知ってるんだ

とほうもなくおろかな行いをする
とほうもなくハレンチなこともする
このボクの神経が
そんな風にする

みんながみんなで
めに見えない針で
いじめ合っている
世の中だ

おかしいことには
それぞれ自分をえらいと思っている
ボクが今まで会ったやつは
ことごとく自分の中にアグラかいてる

そしておだやかな顔をして
人をいじめる
これが人間だ
でも ボクは人間がきらいにはなれない

もっとみんな自分自身をいじめてはどうだ
よくかんがえてみろ
お前たちの生活
なんにも考えていないような生活だ

もっと自分を考えるんだ
もっと弱点をしるんだ

ボクはバケモノだと人が言う
人間としてなっていないと言う
ひどいことを言いやがる
でも 本当らしい

どうしよう
ひるねでもして
タバコをすって
たわいもなく
詩をかいていて

アホじゃキチガイじゃと言われ
一向くにもせず
詩をかいていようか
それでいいではないか

 今、ぱらぱらと斜め読みしているところだけれど、「色のない旗」以降のページは心が痛くなる。心にいっぱい満ちた思いはどれほどだったか……。最後には1941.2.3 高円寺から姉さんへの手紙……『ボクは今こみ上げるくらいたのしいのです……』ではじまる映画への思い未来への思いまで、弾むような闊達な彼が溢れてくる。そう、「戦争は最も悪だ」

«ALL UNDER THE WORLD 地球は沈没した